彼の名作さえも凡とした凡作として貶めてしまう「期待」という魔物と僕は
こんな可愛い子があんなことやこんなことをするんだ…
パッケージに写るあどけない笑顔の彼女を見た瞬間、僕のドキドキは止まらなかった。
止まらない止まらない。僕の鼓動は250BPMを超えていたに違いない。
だって、こんなにも可愛い女の子が○○を××して□□になって△△をうわああああああ!
幻影の彼女を思い精神を迸らせていた時代の僕、嗚呼。
どうも、id:sokokamoです。
もうなんのこっちゃわかりませんね。ご安心ください。僕も全然わかりませんから!
それじゃあ今日も元気に、Let's blog!
ネットで必ずといっていいほど名前が挙がるあの作品を見たんだけど…
あの作品。そう、あの作品です。あなたもご存知のあの作品。皆さんが絶賛するあの作品。
でも、駄目だったんですよ。僕には。いやいや、確かに面白い。面白かったですよ。普通に楽しめました。そりゃあ、堪能しましたとも。
それでも、それでもね、みなさんがこぞって薦めるほどの作品なんだろうかと、思えてしょうがなかったんですね。
しかし、これは作品が悪いわけでも、それを薦める人たちが悪いわけでもないんです。悪いのは僕がその作品に対する期待を大きく募らせてしまい過ぎたということです。
ええ、「期待」という名のモンスターに精神の支配を許した僕が悪いんですよ。
「期待」とは極上のスパイスか、それとも乾燥させたうんこパウダーなのか?
当然といえば当然ですが、鑑賞前に期待を大きく膨らませまくった作品が必ずしも「思ったよりも…」となるわけではない。
「やっぱり期待通り!」はたまた「期待以上ですわよっ!」となることだって十分あり得る。というか普通にある。
期待が高まっているとき、それは鑑賞前から助走をしている状態だ。期待通りの作品、期待以上の作品とは助走が跳ぶタイミングとピタリと合って大きな跳躍が生まれた瞬間だ。助走が早すぎて、跳ぶタイミングが大きくずれてしまったへっぽこジャンプこそ、期待を外された作品なのではないだろうか。
期待を込めて星5つ!(ドヤァ
記憶喪失にでもならない限り、同じ作品を期待をしている状態とまったく期待ゼロの状態で鑑賞することはできない。期待していたからイマイチなのか、期待してなくてもイマイチだったのかを検証することは困難だ。
一体全体、どういう状態で鑑賞するのが作品を一番堪能できるのだろう。
そんなどーでもいいことに思いを巡らせた日曜の朝である。
遅い朝ごはん、何を食べようか。