もしかしたらアレ

気付いたら闇の中。右往左往して出口を見つける。

哀しみとともに

人間の感情には喜怒哀楽がある。本当は僅か4つに分けられるほどに単純なものではなく、細やかなグラデーションで構成されているのではと勝手な疑惑を抱いてる。まあ、そこら辺は色々な修飾や修辞なんかで上手く色を創ってきたのだろう。だから基本的な感情は4つでも特段問題なくこの世界は回ってこれたのではないだろうか。

蹴り上げても蹴り上げても

ああ哀しみなんて要らないね。こんなに心をボロボロにして無駄なエネルギーを消費させられるなんて。本当、どっかいっちゃえばいいのに!って地平線の向こう側目掛けて哀しみを蹴り上げる。自分の中ではメーターが右側一杯のところでタイミングよく蹴り上げたつもりだが思いの外距離が伸びなかったのでダッシュで逃げることにした。しかし、平素、運動をしない生活を送っているものだからすぐに息が上がってへたり込む。微かな気配を感じて振り返ると、すぐ後ろで哀しみが申し訳なさそうな哀しみに満ちた面持ちでコチラを窺っていたりする。

一緒に歩いていくしかないんだね。そんなことはとっくに知ってたけどさ。だけど、人間は頭で論理的に理解できているからといって全てを受け入れられるほど理性的な生き物ではないからね。しょうがないね。

どうでもいいけど喜さんと楽さんってキャラ被ってない?

私は喜怒哀楽のメンバーである喜さんと楽さんをすぐさま判別することができない。アレ?今ここでターンを決めてカメラ目線でクイッとしたのは喜さんだっけ?楽さんだっけ?ってなる。4人しかいないのにキャラ被りってどうなのよ?って勝手な悪態をぶつけられる喜怒哀楽のメンバー可哀そう。(悪態をついたのも私であり、可哀そうと思ったのも私である。なんという永久機関であろうか)

f:id:sokokamo:20170622185628j:plain

「もぺっ」