もしかしたらアレ

気付いたら闇の中。右往左往して出口を見つける。

主語と胸と股間の大きさはどれくらいが適切なのだろうか?

人の悩みは尽きることがない。

一方の悩みが未解決のまま、どんどんと新たな悩みが生み出される。

悩み製造ラインは止まることを知らないらしい。

現場監督とスタッフは大変優秀な方々に違いない。

 

ワッショイ!どうも、妹ことid:sokokamo(新)です。

そんな現代日本が抱える悩みを少しでも解決できるよう日々blogを書いていますんで、よろしくお願いします!

 

主語の拡大は止められない

主語の大きさとは、言わば攻撃範囲である。

本来なら、標的だけを狙い撃ちすればいいのだが、皆こぞって辺り一面を焼き野原にしたいのか、絨毯爆撃をおこなう者が後を絶たない。

無差別に弾を撃てば、無関係な者を争いに巻き込むこととなる。

こうして争いは泥沼化し、なんのために争っていたのかすら人々は忘れてしまっている。

 

また、争いが起きることで利益を手にする者も少なくはないだろう。

人々を焚きつけて争いを起こし、儲けている輩がいる。

今現在、戦渦の最中にいる者は立ち止まって考えてみることが必要かもしれない。

それは誰のための争いなのかを。

 

大事なのは大きさではなく柔らかさ(硬さ)である

適切なサイズを決めるのは難しい。

同程度に主語を大きくしても、争いが起きないこともあるし、割と小さいお手ごろサイズにしても百年戦争が勃発するときだってあるだろう。

 

f:id:sokokamo:20160418212433j:plain

 

大きさは触れなくても伝わる情報だが、実際に触れたときの感覚というのはその何倍もの情報を含んでいる。

触れた感触が心地いいかどうか、解決の鍵はソコにあるのかもしれない。

 

何も解決せずに今日もblogを締めるけど気にしないでください

 

それではまた!