消費するのにも体力が必要なのだ
インターネット網の整備、PCの普及により絵や文章、写真などを多くの人に公開するコストは格段に下がった。
今まで在野に埋もれていたクリエイター達が顕在化し、日の目を見ることとなった。
本来ならチラシの裏に描いて終わりだった私の雑画もインターネットの荒波に放り投げることで、たちまちにして数百万人もの人の目に晒されることとなる。
なんとも恐ろしい時代である。
しゅらしゅしゅしゅ!どうも、id:sokokamo(妹)です。
正直、絵描くのに時間掛かりすぎて段々とblogを書くのが億劫になってきた問題に直面している真っ最中です。
そんな懊悩の末に今日もblogを書いたので見てってネ☆
消費して初めて生まれる何か
とかくこの世は消費onlyの人たちに対して手厳しい。
手厳しいのは、元々手厳しい批評や意見を発信したことに対しての返報なのだと言えばそれまでである。
しかし、作り手は自分が作り出した作品の全てを把握しているのだろうか?
コンテンツの消費者が鑑賞し吟味することで、作者さえも気づかなかった箇所に光を当て、その作品の味わいかたを生み出されることもある。
その行為自体が新たな作品を生み出しているといっても過言ではないだろう。
作り手と受け手という属性を分けた不毛な対立、いや不毛ではないのかもしれないが、感情に起因しているかのような殴り合いが、いつか止むことを願っていたりする今日この頃である。
特にオチがないときにどうやって締めようか迷ってしまうよ問題
心に迷いが生じるのは運動と瞑想が足りないかららしい。
恐ろしい恐ろしい。